【ブロマガ】価値の話※普段以上に徒然な文章です【あれま】
人間に価値というものは存在しないし、
人間なんてそこにあるだけのものだ。
というのが私の持論です、こんばんわ、あれまです。
持論というのはあくまでも自分の中で考えていることなので、人にこの考えの浸透なんて願っていませんし、自分への価値を高めていくのはとても大切な行動だとも思います。逆に誰かが私という人間に価値を見出し、その価値を尊んでくれるのであれば、それもまた受け入れています。
まぁ、受け入れるというか、気にしない、というのが正しいのですが。
そもそも何故私が「人間(生き物)に価値はない」というのか。
私にとって価値とは生きていてもいいと言われるための条件だと思っています。
しかし、そもそも生きる条件とは何でしょう?価値がなければ人は生きてはいけないのでしょうか?
そんなことはない、と思っているのが私です。ただそこにいたっていいのです。
価値がなければ存在してはならない、という制約があるのだとしたら、私は「生きるために生きることに価値がある」とそういう取り決めをした存在にツバを吐く用意もしています。
なお、()で生き物を表記したのには意味があります。
私は、価値があるから生物が生きていているとは思っていません。そこにあるから生きていると思っています。愛玩動物も野生動物も然り。
あるからあるのに、価値という意味を見出そうとするのがおかしい、と思っています。
と、ここまで話しておいてなんですが、実は今回の本題はこれではありません。では、何故こんな話をまた引っ張り出すかといいますと、自分の中でどうしても落ち込んだとき、自問自答をしてしまう時があるからです。
「○○できない自分に価値はない」「○○しなくては私の価値はない」
先に述べたとおり、私は持論として「人間に価値」はないと思っています。
ですが、精神的に追い詰められるというよりは、余裕がなくなるとこの考えに至るときがあります。そして、すぐに思い出します。そもそも、「自分自身に価値」はない。
ではなんで私はこんなことを考えるのか。
goo国語辞典さんに聞いてみました。(????)
「価値」
か‐ち【価値】 の解説
1 その事物がどのくらい役に立つかの度合い。値打ち。「読む価値のある本」「価値のある一勝」
2 経済学で、商品が持つ交換価値の本質とされるもの。→価値学説
3 哲学で、あらゆる個人・社会を通じて常に承認されるべき絶対性をもった性質。真・善・美など。
引用先▼
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E4%BE%A1%E5%80%A4/
私に焦燥感を与えるのは「3、哲学における承認されるべき絶対性」というのが一番近い気がします。もしかしたら他の人が感じる「自分自身の価値」もここに当てはまるのかもしれません、しらんけど
私にはいくつか、自分を説明するときに使っている肩書があります
「文字書き」「シナリオ製作者」「配信者」「ボードゲーマー」「人狼プレイヤー」等
それはすべてを自分を形成、説明するには必要なものです。
しかし、文字を書かない自分は文字書きでいいのか、シナリオを作らない自分はシナリオ製作者でいいのか、配信者である、ボードゲーマー、・・・
できていない自分は本当にその「肩書」にあっているのか。
難しいですねぇ。それをしないものは、そう名乗っていいのか。
例えば、シナリオを作ったことがないけれど、作れるという自負があれば「シナリオ制作者」と名乗っていいのか、となれば私は「実績主義者」なので、【NO】となります。
※わざわざそう名乗っている方に「名乗るな!」と文句をいいにいくことはありませんし、そういう方を否定をしたいわけではありません。あくまでも私はそうじゃないだろうなぁと思うだけの人間です。
しかし、「作ったことがあるのであれば」その人は「シナリオ製作者」でいい、というのが私です。実績があるのでね。
さて、ここでまた価値の話に戻ります。
哲学という分野に対して、私は永遠の俄(にわか)である自覚があります。
なぜなら私はその本質を知ろうとしているのではなく、上澄みをすくいそれっぽいことを語り、それを自分の表現に活かしたいだけの人間だからです。
そんな私からすると先程の「3、哲学における承認されるべき絶対性」というのは本当にあっているのかも怪しい話です。あくまでも私の主観の中での話なので、このあたりを得意とするヤマギシさんからすると「それはちがいますよ、あれまさん」というツッコミが入るかもしれません。その時はちゃんと話を聞く姿勢を持つ予定です。
脱線しました。では、その俄哲学語りのあれまさんは何が言いたいの、と言われれば、やはり同じなのです。
自分の価値というありもしないものに踊らされて自分を追い詰める必要はない。
自分に価値はない。何もしなくても価値はないし、何かをなしても価値はない。
全ては生きている間の大きな暇つぶしなのです。
その暇つぶしがたまたま、人の役に立った、または、人の役に立つことがやりたかった、それくらいの認識です。
なので、もしこのブロマガを読んで、自分の価値で悩む人がいましたら、気楽に物事を考えてみるのも一つの手ですよ、と伝えたっかたので書いてみました。
ううん、久々に真面目な話をしたので、明日からまたおっぱいと無闇につぶやき夜を持て余した人妻にフォローされた報告する人間に戻ろうと思います。
では、本日はこのあたりで。
読んでくださり、ありがとうございました、おっぱい