【ブロマガ】平和主義者は戦争の何を知るか【ヤマギシ06】

お早うございます。今日は。今晩は。
貴方のお耳のww2担当、絵を描くグロスフスMG42ヤマギシ06でございます。

終戦記念日です。

1945年8月15日正午。玉音放送終戦が告げられたことからこの日が「戦争の終わり」と一般的に言われております。

まあ降伏文書に署名したのは9月2日なのですが。戦争というものは「はいこの日に終わりました」とプツンと終わるものでもないのです。

…ということを答えられる人間は全人口の2割も居ないのでは。
今日だから日本中が戦争戦争とお祭りのように騒ぐだけで、コレを真冬に「戦争記念日は何年何月何日ですか?」と聞いたところで正確に答えられる人間は5パーセントを切るのでは。
間違いなく義務教育で教えられるはずなのに。

74年前と考えると莫大な年月です。終戦時に6歳だった子ですら80歳になっている。戦争体験者は年月を追うごとに減り、恐らくあと10年もすれば国宝でしょう。10年後に今ほど平和が尊ばれているかも分かんねーし。

対策として国内の「戦争記念館」では戦争体験者の言葉を音声記録し語り部の後年育成を急いでいるようですが。

今日は少し違う視点で戦争を見て欲しいという話を。

「戦争が害悪」は日本国内の一般常識です。それは第二次世界大戦でボロ負けしたことが原因で、飢餓、物資不足、生命価値の低下、人間の狂気の膨大なトラウマが原因です。

しかし、第二次世界大戦以前もすでに「戦争が悪」なのは世界常識だったことをご存知ですか。

戦争が害悪という考えは第一次世界大戦後に生まれました。それまで国と国が争うのは当然だったし、むしろ人間は戦うために国家コミュニティを作っていました。
第一次世界大戦において毒ガスなどの取り返しのつかない死者数を出す武器が一般化し、ようやく「戦争はしちゃいけないでガス。世界平和が一番でゲソ」みたいな風潮を学ぶ人類。おせーよホセ。

出来たのが「国際連盟」。

この国際連盟がまた役立たずオブザワールドみたいな組織でして結局第二次世界大戦を止められなかったのですが…

重要なのは「第一次世界大戦が最悪だと誰もが分かっていたのになぜ第二次世界大戦は起こったのか」。

ざっくりとした歴史意訳ですが結局皆が戦争から目をそらしたためです
戦争で叩きのめしたドイツの悲劇から目をそらした。独走するアメリカから目をそらした。元々残っていたヨーロッパ各国の確執から目をそらした。独善的な日本から目をそらした。

戦争が害悪だから。

頭ごなしに「戦争が害悪」ばかりを植え付けた結果、人々は「戦争を見る義務」から逃げました。結果的に二度戦争は起こり、三度起こりうるかもしれません。

「戦争が苦しい」「戦争は多くの悲劇を生む」ことは勿論忘れてはいけません。戦争経験者の言葉は聞けるうちに聞いたほうがいい。

でもそこで思考を止めた結果が第二次世界大戦だと知れ

国家と国家が何故問題を起こしたのか。何故連携が取れなかったのか。何故相手国の力量を見誤ったのか。何故物資が枯渇したのか。国家である必要はあったのか。どの思想が対立したのか。他人を貶めてまで幸せになりたかったのか。戦争よりもっと利益の出る方法は無かったのか。


戦争をただの悲劇にしないでください。戦争を繰り返さないために行うことは「悲劇を伝える」だけでは不十分です。人は恐ろしいもの、悲しいものから目をそらします。目をそらせば問題は見えない。

戦争の知らない世代の我々は第三者目線で、数値的に戦争の悲合理性を学ぶ必要があるのです