【ブロマガ】トロッコ問題が正しく理解されずに横行してるのが大問題じゃね。【ヤマギシ06】

お早うございます。今日は。今晩は。
貴方のお耳のww2担当、絵を描く豊和ゴールデンベアヤマギシ06でございます。

Yahooニュースにトロッコ問題が取り上げられて炎上していますね。

先に注釈ですがヤマギシ06はこの小学校の関係者でも、保護者関係者でもありません。昼寝から起きてTwitterを開いてぽけーっとトレンドを見たら「トロッコ問題」の文字が目に入った、哲学を少しだけ齧ったことのある7歳児(概念)です。
このブロマガは「誰が間違っているか」を糾弾するものではなく、「トロッコ問題が正確に報道されないと哲学が誤解される」ことを恐れてのブロマガだとご理解ください。

今回はこちらのYahooニュースさんの記事をソースとしてお借りしていますが…大変語弊が多い様に感じます。
記事の見出しから見ていきましょう。


山口県岩国市立東小と東中で、「多数の犠牲を防ぐためには1人が死んでもいいのか」を問う思考実験「トロッコ問題」を資料にした授業があり、児童の保護者から「授業に不安を感じている」との指摘を受けて、両校の校長が授業内容を確認していなかったとして、児童・生徒の保護者に文書で謝罪した。

ハッキリ言いましょう。トロッコ問題は「多数の犠牲を防ぐためには一人が死んでもいいのか」を問う思考実験ではありません。

ロッコ問題は「多くの価値観がある」ことを知る為の授業です。

本質を伝える為ならば「5個の飴玉と一つのガム玉どちらを買ってどちらを食べずに捨てるか」
でも構わないわけです。

ただ、人間が「これだけは正義だ」と思いこんでいるもの、例えば
・「助かる人が多いこと」こそ正義である。誰が犠牲になろうと多くの人命を救った方が正しい。
・「人命を数で測る不道徳を許さない」ことこそ正義である。何があっても場を変えたら殺人だ。
などを提示させ、「あ、オレの正義とアンタの正義って違うんだ」と理解させる為の実験です。

天下の毎日新聞さんには正確に書いて欲しいものです。
読者を惹きつけるには、間違っていてもセンセーショナルな見出しだったらそれで満足なんですかね。
まあガワの見出しはどうでもいいと言えばどうでもいいのです。クリック数を増やせれば誤解させた罪は相殺されるのでしょう。

んで問題の記事内容です。


山口県岩国市立東小と東中で、
(中略)
ロッコ問題が記されたプリントを配布して授業した。
(中略)
授業は、選択に困ったり、不安を感じたりした場合に、周りに助けを求めることの大切さを知ってもらうのが狙いで、トロッコ問題で回答は求めなかったという
(中略)
児童の保護者が6月、「授業で不安を感じている」と東小と市教委に説明を求めた。
(中略)
両校で児童・生徒に緊急アンケートをしたところ、東小で数人の児童が不安を訴えた。
(中略)
東小の折出美保子校長は「心の専門家による授業なので任せて、確認を怠った」と確認不足を認めた。【古賀亮至】

正確な記事内容は本記事を参考にして下さい。ググれば出てくる「トロッコ問題」についての説明や、問題のない記事内容は割愛しております。

まず授業内容です。
「周りに助けを求める大切さ」というのは疑問です。ロッコ問題の本質ではない。多分この時点で問題がありました。
ただこの「周りに助けを求める」が「多くの正義を聞き、自分の正義が正解でないと知り、その場の最適解を求める」であるならば強ち誤りでもありません。

「トロッコ問題で回答を求めなかった」のは素晴らしい。
学校教育は「答えを求めさせる」授業がとても多い。だが本質として完全正解の答えなど存在しない。特に道徳においては。

そして授業後、保護者の方から学校側に「授業で不安を感じている」と連絡があったようですね。この「不安」も正確なところが書かれていないので「死を題材にしたことについてのクレーム」なのかどうか不明です。
ここでは30歩ほど譲って「死を題材にしたことについてのクレーム」であると仮定しましょう。
個人的にはここで保護者側から「トロッコ問題の本質と違うじゃねーか」というクレームが出てたら最高だなと思いますが。

で、小学校側の生徒数人から「不安」を訴えられたそうです

自分は小学校側が教え子である小学生を不安を感じさせたことに対し謝罪をしたというのであれば、低姿勢だなとは思いますがそこまで嫌悪感は感じません。
小学校の時点で「ころすぞ!」とか「しねー!」とかの罵倒に不安を感じる子がいるとは育ちが良くて素敵な話ですね。人格破綻者のヤマギシ06は小学校の頃に些細な理由でピアノを殺そうとしたことがありました。

今回のトロッコ問題の流れをざっと見て、事実としての間違い(ここで重要なのは道徳や正義としての間違いではないということです)は、

毎日新聞社のトロッコ問題の認識
・学校側の教育題材の選び方

の2点だけです。

お前ら題材として選ぶなら哲学の初歩の初歩を学んでから書けよということで憤慨した一日で終わりました。

 

ただ少し話の道からは外れるのですが
…「死について授業をすることに不安を感じた保護者達」には問題はなかったのでしょうか。
次回はこのことについて少しお話ししてみようと思います。