【ブロマガ】小学生に殺人という題材を使うのは早すぎるのか否か【ヤマギシ06】

お早うございます。今日は。今晩は。
貴方のお耳のww2担当、絵を描くファルマンf.50という名の中古航空機。ヤマギシ06でございます。


前回は実際にあったニュースを話題に出しましたが、今回はこんなことがあったらやべえなというただの妄言という前提でお聞きください。現実にいる個人、団体、その他全てを否定する意図は有りません。おじいちゃん朝ごはんはさっき食べたでしょ。7歳で耄碌してんじゃねえぞ。

さて皆さん。
ご自身に子供がいると仮定して、「殺人」についてどう教育しますか?

自然界では人間に限らずありとあらゆる動植物が「同種殺し」を行います。縄張り争いであったり、自己の権威を主張したかったり、酷いところだとメスを発情させたいがためだけに母親の目の前で子供を嬲り殺したりします。「獣は居ても除け者はいない」なんて許されるのはジャパリパークのみ。自然界は虐めと集団戦の泥沼サバイバルだぞと。

人が生物のくくりである限り「殺人」は起きます。別に違法な「殺人」でなくても虐め倒して自殺に追い込んだり、頭のおかしいやつを留置所にぶちこんで殺処分するのも全て殺人なので。

で、その厳しい現実を子供に教えたくない親が一定数居ます。

この親達が子供に対して「教育する内容を選ぶ」権利はあります。別に殺人やセックスやドラッグを教える義務はない。

ですが子供が殺人、セックス、ドラッグという存在を「外部から学ぶ」ことを防ぐ権利はありません。世界には殺人もドラッグもセックスも存在し、横行しているので。

「教えたくない親」はこの「外部教育」を極端に嫌がり、「教えた世間」を憎みます。その矛先が小学校の先生だったり、近所の兄ちゃんだったり、コンビニで売っているエロ本だったり、A-06民営放送ヤマギシ06だったりするのです。最後のはマジで学ばなくていい。

しかしヤマギシ06以外を奪うのは学ぶ権利の侵害です。

例えば殺人描写の激しい作品がR-15になっているのは「殺人における責任を理解できる年齢ではないから」です。
コレは当然、「15歳になれば殺人における責任を理解できている」という前提で設置された基準です。

つまり15歳になる前に誰かが「殺人は人の命を奪う行為で、その人の後に繋がる全ての権利を剥奪する大変重大な行動だ」ということを教える必要があるのです。


コレを理解せず頭ごなしに「死は怖い!子供に教えるのは可哀想だ!隠さなきゃ!」となるとモンスターペアレントと罵られることになります。

教育以外に対しても言えることですが、問題が起こった時「問題」だけを憎み排斥し糾弾し目を瞑ることほど愚かな行為はありません。「問題」を排除するのは「解決」です。人間間の諍いなどは「時間」が解決することもありますが知識は知ってしまったら前に進むしかありません。

仮の話をします。

小学校でトロッコ問題という「殺人が問題文の一説に出てくる例題」を出されて、息子が不安を感じたとしましょう。
その場合「ウチの子に何を!」と言って小学校にクレームを入れても正直電話代の無駄です。息子が不安を感じるのは遅かれ早かれあったことです。兵十はごんを撃ち殺すしちいちゃんは空に飛んで行くしサダコは白血病で死ぬので。

それよりも息子に、「命を選ばなければならない可能性もある。その時に不安を乗り越える術を身につけるには」ということを教える方が前向きなのではないでしょうか。

情報規制は歴史上上手く行った試しがありません。

過激なもの、悲しいもの、恐ろしいものを隠すのではなくそれと付き合う方法を楽しく考える道もあるぜということでこの前後編を締めようと思います。