【ブロマガ】文字が好きだという話【ヤマギシ06】

お早うございます。今日は。今晩は。
貴方のお耳のww2担当、絵を描くM1ガーランド半自動小銃ヤマギシ06でございます。

自分の友人には、「文章表現」を行う方々が多数いらっしゃいます。それはあれまさんであったり、何度か動画やブロマガに登場して頂いたりっしんべんさんであったり、民営放送とは全く違う世界で知り合った友人であったりします。ひとりひとり、自分が尊敬してやまない唯一無二の創作者です。

彼等が一様に口を揃えて仰るのが
「文字は絵ほどウケが良くない」
「誰でもある程度は書けてしまう」
「大したことではない」
等々。

聞く度に寂しい感覚に駆られます。

創作者は多かれ少なかれ自己を卑下するものです。それは絵描きも変わりません。でも何というか、文字を書かれる方の中に、最初から凄く「文章表現」は「絵画表現」より…というようなことを仰る方が居て。

今日はなんというか、ヤマギシ06個人は文章表現が大好きだという意思表示をする回です。


これは何度か動画でも言ったかもしれませんが、自分の家には中学二年生になるまで(現在概念的には小学生一年生らしいですが)テレビというものが有りませんでした。ゲーム機も、なんならマンガも所謂「歴史漫画」しかない。ヤマギシ06という人間が斜に構えていて、そんなものが無くても勉強は出来るみたいな脳のガキだったためです。誰に禁止されてたわけでもねえのに。

で、そんな臍曲がりのガキの娯楽は本に限られました。生まれて初めて触れたフィクションはおそらく母が読み聞かせてくれた「うさこちゃん」シリーズ(今ではミッフィーシリーズという名前でしょうか)。そこから「四季のむかしばなし」みたいな短い地域伝承が365日分載っている読み聞かせ用の本(親の読み聞せを待てずに全部読んだ)とか、ポセットだかホセットだか、そんな感じの世界の絵本集みたいなの(クソ高価。親は大変だったでしょう)とか、世界少年少女文学全集、青い鳥文庫等を片っ端から読んで、その合間に第二次世界大戦ブックスを読み漁り思想を捻じ曲げ江戸川乱歩全集を読んで性癖を拗らせ…などをしつつ幼少期を過ごしました。

どうしてこうなった。

まあとにかく、今自分を作っている下地は「文章表現」に他なりません。漫画や絵に傾倒しはじめるのはずっと後。今こうやって皆さんと話している人格や、物語を作ろうとする意志、その他諸々を支えてくれている七割以上が文字によるものです。

一人の子供を「創作しよう」と思わせる実績は驚異的です。世の中には「妄想する」「僕の作った最強の世界を描き出す」ということが想像もつかず、なぜそんな無駄なことをするのだ、と仰る方が多数を占めるのですから。
こちらとしては、「よくも私の人生を歪めてくれたな、愛してるぜ」といって抱きしめたいぐらいの恩人達です。力がない?どの口が。

「文章」の表現力における効率は凄まじい。「七百万の軍勢が津波のように荒野を埋め尽くし…」を映像で投影するのにどれだけ回りくどいことをしなければならないのか。文字で書けば10秒です。


哲学の一部門では「人間は言葉で表現できることしか考えることはできない」ということをごく真面目に考えている一派も存在します(なお"全て"では有りません)

例えば映画「アバター」はほぼCG技術で作られていますが、CG技術とは「プログラミング言語」で表現される媒体です。光り輝く枝垂れ柳、燦然と降り注ぐ蕈の傘。膨れ上がる「地球とは違う」物理現象の数々。あの世界全てが言語で支えられている。

「文章表現」とはここまで強いものなのです。

自分は絵を描く人間ですが、やはり「何を表現したいか」を頭の中で言語化しながら絵を描いているフシがあります。

今回は小説にばかり重点を置いて話しましたが、みなさんと交流するツイッターや、それこそ今書いているブロマガだって文字表現でしょう。


文字を扱える、言語を上手く使用するという能力は決してそんなに安いものじゃない。ということをあれまさんに言い損ねたので今日はこんなことをつらつらと書いてみました。

 

たまには思いっきり全ての文字書きさんに自慢していただきたいものです。