【ブロマガ】そもそも私は本当に文字を書くのが好きなのか【あれま】

どうもどうも、あれまです。

先日ヤマギシさんが「文字書きが卑屈」(過剰表現ですがわかりやすいのでこう表記します。実際の内容はヤマギシさんのブログからどうぞ)という話をされてました。うん、卑屈なんですよねぇ。こればっかりは友人のりっしんべんさんとも何度も話して「文字書きあるある」で盛り上がってしまったのですが、今回の話題はそこではありません。

 

実は私、文字を書くよりも最初に目指していたのは絵を描くことでした。

子供の頃は漫画家になりたい、とずっと絵を描いていました。

毎日毎日好きな漫画家さんの絵を見ながらずっとずっと描いてました。

 

さて、ではなんでそんな人間が文字書きに転向したのか、それはひとえに周囲の友人関係が理由でした。というのが、私の周囲にはとても上手な絵を描く友人に溢れていました。画風も少女漫画から、少年漫画と、色んな種類の素晴らしい絵を描く友人たち、そしてその友人たちと比べてしまったのですよね。自分の絵を。

その結果、ぽっきり折れてしまいました。

 

自分の絵程度では漫画家なんて無理だ、と。

 

 でも、創作活動はしたかった。多分、創作という概念が好きだったのでしょう。必死にキャラクターの設定や、物語の起承転結ばかり考えていました。

そんな私の前に突如現れたのがパソコンという道具でした。実は我が家庭の住人は機械音痴ばかりなのにパソコンが普及し始めた超初期の頃からパソコンがありました。

その結果、私は出来もしないローマ字を必死に覚えて文字を打つことを始めました。

 

 必死に文字を打ち込んで、自分が書きたかった話を詰め込んだ学生モノファンタジーを書きなぐったのを覚えています。そしてそれを創作仲間に読んでもらって、何故かそれが他のクラスの男子たちにも読まれ「面白いな、これ」「続きはあるの?」と言ってくれた。とても貴重な友人達でした。結局は完結させられなかったけれど、あの時、もしからかわれたり、破かれていたら、私はきっと創作が出来ていなかったかもしれない。続きをねだってもらえて、自分の作品に自信を持つことが出来た。

 

 私は未だに卑屈です。文字というのはまず「読む」という大きなハードルを超えなくては読んでもらえないからです。その為、少しでも「読みたい」と思わせるような何かを持っていなくてはいけない。

その後も、本当におもしろい文章を書けているのか、ちゃんと理解できる内容で文字を書けているのか、私は推敲をサボりがちな人間なので、最初にしっかりと文章を書けていないと結構ここで詰みます。ちゃんと推敲をしなくては、とは思うのですが。

そして私は卑屈でありながらこうも思います。私の文章は私にとって面白い、そして一部の人にとっても面白いものなんだ、と。

 

なので、未だに筆をおらずにちまちまと文章を書けています。

 

だから、まぁ、なんでしょう。卑屈なのはどうもね、性根のせいなので、許してください。そして、機会があれば私の文章を読んで、感想を下さい。

 

それだけで私は文字を書ける安い人間なので。

 

以上、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。